夏背の中学時代
——夏背さんの中学時代はどうでしたか?
夏背(以後、「夏」):
中学生になってすぐは変わらず学級委員をしたり、音楽教室に通っていました。部活はバスケ部に入っていました。朝練と放課後練習でもやり足りなくて、家に帰ってからも練習したりして、すごく楽しかったです。でも中学一年生の11月に起立性調節障害という病気になって、全部出来なくなってしまいました。
──音楽もバスケもですか?
夏:バスケは体調的にやめるしかなかったんですが、音楽は中途半端に続けるくらいならやめようと思ってしまって。この時はすごく完璧主義だったんです。
──それはすごく体調が悪くてやめたっていうよりも、自分の中で今までみたいにがっつりできないからやめたっていうことですか?
夏:どっちもありますね。やりたいけど体調がついていかないから、「もういい!」って。やけくそというか。
──その病気になって、入院していたとお聞きしました。
夏:私は気圧が下がるとずっと眠ってしまって、台風や雨の日は一日に20時間くらい眠ってしまうこともあるので、夜寝て次の日起きると一日が終わってることもよくあって。その間母がいくら起こしても意識が無いので、起立性調節障害と同時に、睡眠障害にもなっているんじゃないかということで検査入院をしました。
──そんなに寝てしまうって、日常生活が大変ですよね。入院中はどう過ごしていましたか?
夏:その入院生活であまりに時間があったので、持って行っていた小説の挿絵を自分で想像して描いてみたりして。それが絵を描き始めるきっかけになりました。 それと入院中に一目惚れした絵があって、その絵を描いているのが同い年の子だと知って衝撃を受けて、私も描いてみようと思いました。あと、部屋に聖書があったのでその入院期間に読んでみました。
──それが絵を描くきっかけになったんですね。初めて聖書を読んだ時はどう思いましたか?
夏:その時は正直よくわからなかったです。(笑)でも神様がなんで私の体をこんなにしたのか、どうして私は学校に行けないのか、答えが書いてあるかもしれないと期待して読み始めたのは覚えています。この検査入院をしたのが中学三年生の春休みだったんですけど、一年生から三年生の間に性格がガラッと変わってしまったんです。あんなに人前で話すのが好きだったのに、一対一でも目が合わせられないような内向的な性格になってしまって。
──そうなんですね…学校生活はどうでしたか?
夏:一日に20時間寝てしまう日もあるので、梅雨や台風の時期はほぼ寝たきりの生活でした。頭痛と味覚障害が特に酷かったです。なので体調の良い日は学校に少しの間だけでも行く、という生活でした。
中学生の時は周りの人に恵まれていて、先生や友人の理解がありました。ただ、体調の良い時に学校に行くので、「普通に元気じゃん」と言われることはありました。今思うと、その子たちも不思議だっただけで悪気はなかったのかもしれませんね。
──何気ない一言も、そういう時は気になりますよね。病気はどのくらいまで続いたんですか?
夏:大きな症状は18歳ごろまで続きました。どうしても全日制の高校に通いたかったので、何とか入学したんですけど、高校一年生の終わり頃にもう体調的に続けられないと思ったので、在学中に勉強を始めて高卒認定試験を受けました。
症状自体は今もありますが、当時に比べればすごく良くなりました。今はこういう体質なんだと思って割り切っています。それに、病気になっていなかったら私は今絵を描いていなかったと思うし、悪いことばかりではなかったと今は思えるようになりました。
──その頃はどんな絵を描いていましたか?
夏:うーん。その時自分の思っていることを絵にしていました。なので刺々しいというか、悲しい絵が多かったです。
──そのころの絵ってまだ残っていますか?もし大丈夫だったら、見せていただくことはできますか?
夏:ああ、見せられないです。残ってはいるんですけど、やっぱり人が見て気持ちの良い絵ではないと思うので。
──そうですよね。夏背さんの中で、いろんなものが渦巻いていたものですもんね。ではそういう悲しい絵から今のような絵にはどう変化していったんですか?
夏:高校を辞めた次の夏に、地元のカフェで個展をしたのが良いきっかけになりました。
高校をやめる前に個展をするのは決まっていたので、やめてしまったという不安をかき消すように絵を描いていました。その時、自分だけが満足する絵ではなくて、人に見てもらうというのを初めて意識しました。それと学校を辞めて自分と他人を比べることが無くなったからか、心に余裕も出てきて、自然と色やモチーフも優しくなっていきました。
──すごいなぁー。その6年間を経て夏背さんが一番感じたことはなんですか?
夏:人と自分を比べる必要はないということです。あと、昔の自分と今の自分を比べて落ち込む必要もないと思っています。できないものはしょうがない!次々!と思えたら、新しいものを取り入れる余裕も生まれるので、その場に執着せず、次へ次へ、身軽に動ける気持ちでいられたらいいなと思います。そうありたいです。
Orangestarの高校時代 – M.Bとの出会い
──次はOrangestarさんの作曲を始めたころからお聞きしてもいいですか?
Orangestar(以後、「オ」):はい。作曲は中学を卒業した頃に始めました。高校でもバレーボールは続けてたんですけど、何か新しいこともやりたいなと思って。
──高校はアメリカでしたっけ?
オ:高校一年生までは日本の高校にいて、二年生の時から行きました。
──M.Bさんと会ったのはアメリカに行く前ですか?
オ:そうですね。作曲を始めた年の夏にM.Bさんのお兄さんに紹介していただいて一緒に活動を始めたんですけど、実際に会ったのはその次の年にアメリカから夏休みに日本に遊びに帰った時が初めてでした。
──M.Bさんと作品を作るようになって、何かOrangestarさんの中で変わったことはありますか?
オ:そうですね。M.Bさんとの別のインタビューでも言ってたと思うんですけど、M.Bさんがすごい熱い人で、作品を通して世の中に希望とか、良い影響を与えられたらいいなっていうのを当時からすごく言っていたので、彼のそういうところに引っ張られた部分はあったと思いますね。
──なんか、そのビジョンって素晴らしいですね。
オ:そうですね。当時はまだお互い全く無名だったんですけど、いずれはそういう風になれたらいいなというのは私も思っていました。
──実際にたくさんの方がお二人の作品に勇気づけられていると感じます。普段そういったメッセージをいただくことはありますか?
オ:普段私はあまりイベントとかには出ないんですけど、たまに出ると手紙をもらったりします。そういう手紙を読んでいると、すごい不思議な気持ちになりますね。自分の曲に励まされたって言ってくれる人がいたり。でもそういうのを聞くとすごく嬉しいです。
──夏背さんもその一人ですもんね。
夏:そうですね。体調を崩して精神的に苦しかった時に一番希望になってくれたのがOrangestarさんの音楽でした。初めて会ったときは、私も手紙を書いていったんですけど渡せなくて。(笑)
──会えた!みたいな?(笑)
夏:持って行ったんですよ。持って行ったんですけど緊張して渡せなくて後日郵送しました。
──あはは。(笑)
(次回へ続く)
次回はOrangestarさんのアメリカでの生活や、活動を休止していた二年間についてインタビューしていきます!